【まとめ】サッカー指導者とは?〔後編〕

こんにちは!

今回は前回の記事で書いた続きになります。


前回はこちらから

サッカーを教えることができる人

サッカー指導者とは何かという大きな問いに対して前回まず一番にあげさせてもらったのが、
「サッカーを教えることができる人」ということでした。


この言葉の中には「サッカーを理解していること」「サッカーの技術指導ができる」「サッカーの戦術指導ができる」といった内容が含まれており、主にサッカーに付随すること(当たり前ですが笑)について書きました。


僕自身も書いている中で自分の頭の中にあることを人に伝えるために言葉にしてまとめることはすごく難しいなと痛感いたしました…

この人はすごいなと感じる指導者の方は、もれなくこの頭の中にあることが整理されていてきちんとシンプルにまとまっており、簡潔に人に伝えることができるのです。

これをTRや試合などの指導現場の中でパッと出せるのが、本当にすごいなと講習などにいくと常々感じます。

指導の上でシンプルに分かりやすく、簡潔にという言葉が出てくるのですが、これを実際に高いレベルでできる人は本物だと僕自身を思っています。

教育者としての一面

今回はサッカーに関してではなく、指導者は人の成長に関わるという面から教育者としての側面を持つと僕は捉えています。

指導者として求められる理想像(こうあるべき姿)とは何かという部分について僕自身の考えを書いていきたいと思います。

模範であること

指導者、コーチ、監督である前に、僕らは一人の人間です。

選手たち(特に育成年代)からみて指導者は一つの基準になりますし、たとえ望んではいなくても基準となる立場になります。

その言動、行動、振る舞い、姿勢すべてが選手たちに影響するということを忘れてしまってはいけないと思います。

尊敬されるようにというわけではなく(その思われることも必要なことなので否定ではないです)選手たちがその指導者を広い意味でみたときに、その選手にとって良い影響を与える存在であり続けることは必要かと思います。

どんな姿なのかということについては、ここでは言及しませんが当たり前のことができていたり、

モラルがある

指導者である前に一人の大人としてという部分になるのですが、やはりモラルがあることはすごく大切で必要なことだと思います。

モラル(moral)とは、「道徳、道徳的規範、道徳性などのこと。倫理のこと。」という意味となります。

受け取る人によって曖昧で微妙なニュアンスの内容となってしまうのですが、一般的に言われているのは道徳や倫理と訳されることが多いと思います。

調べたところ

「倫理・倫理観」は、社会での善悪の判断の基準となる考え方

「道徳・道徳観」は、個人の価値観に依存する善悪の判断の規範となる考え方

とのことでした。

選手たち、特に育成年代の子供たちは目の前の大人の影響を大きく受けます。

ましてやそれが大好きなサッカーを教えてくれるコーチであったならなおさらです。

「子供は大人の鏡」という言葉があるように、子供たちの言動、行動、振る舞いなどは周囲の大人たちそのものであるということを常に頭に入れておかないといけないと思います。

この世に完璧な人間など一人もいないのですが、目の前の子供たちが社会に出て行ったときに、良い基準となる大人の姿の中にサッカー教えてくれた指導者の顔が浮かんでくることが大切で何よりなのかなと僕自身は考えます。

信頼できる存在

これは教育者という側面の中の話ではないのかもしれないですが、他者からみて信頼をおける存在であるということが大切だと感じます。

その指導者が信頼できる存在であるということは、すごく大切なことです。

「この人にサッカーを教えてもらいたい」「この人なら何でも相談できる」「この人なら安心して子供を任せられる」

そんなことを思わせてくれる存在、信頼における人物であるのかという部分が指導者にとって大切であると思います。

もちろんサッカーを知っている、教えることができる、素晴らしい経歴があるなども信頼をおける要素であるとは思うのですが、

最終的に信頼おける人物であるかどうかを決定するのは、その人の模範やモラルなどを含めたすべて見たときにその指導者がどんな存在であるかだと思います。

選手たちが指導者に対して自らをさらけ出すことができる存在であり、困難にぶつかった時の拠り所であり、ある時はその進んでいる方向を修正し、自身の可能性を教えてくれる存在だと思います。

最後に

「指導者とは何なのか?」を考えることは僕にとって理想の指導者像を考えることとイコールでした。

指導者とは様々な人に良くも悪くも影響を与える存在であり、その良し悪しは指導者自身ではなくその周りにいる他者がジャッジ(評価)します。

指導者の方なら自分では良いと思ってした行いでも、その選手にしてみたらマイナスとなってしまうような経験をお持ちだと思います。(僕もたくさんあります…)


今回書いた教育者としての模範やモラルといった部分は、選手たちから信頼をしてもらうため、もっと言うと指導者の声に耳を傾けてもらうための行動であるという面もあると思っています。

いくら知識を入れていても、現場での指導力やスキルがあっても、素晴らしい過去の実績があっても、目の前の選手たちが聞いて(聴いて)くれていなければ何の意味のない存在になってしまいます。

信頼や尊敬ができる人物でなければ本当の意味で耳を傾けてはくれません。うわべだけのつながりとなってしまいます。


今回僕自身も書いていながら改めて自分自身を見つめ直す機会となりました。

普段なんとなく頭の中でこうあるべきというものは皆さん持っていらっしゃると思いますが、それを書いてまとめて言語化することをおすすめしたいと思います!

それによってより一層日々の現場の指導のクオリティが上がり、選手たちにそれが還元されていくのではないのかなと思います。



今回をきっかけに僕自身も日々の曖昧なことを言語化していきたいと思います。

最後までお付き合いいただきありがとうございました!

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