こんにちは!
前回“指導力を上げるため”について書きまとめましたが、その指導力を上げ続けることだけでは「理想の指導者」になることはできないのでは?と書きながら感じました。
理想の指導者とは以前の記事で書いたのでよければ参考に。
理想の指導者をかたちづくるものについては、細く分ければまだいくつもの要素があり、それらを全部ひっくるめて理想の指導者像としなくてはいけないとは思います。
これを書き出してまとめる作業に入るとすごく大変であり、あれもこれもと色んなことがでてきます…(笑)
僕の所属するクラブでは目指すべき指導者像を言語化しているのですが、わりとボリューミューな内容になっています。
あれもこれもと全てのことを完璧に網羅することを目指さないとはいけないですが、限りなくシンプルにしていくことで日々の行動とリンクしていくのではないのかとも考えます。
“指導力”を発揮するために
指導力そのものだけみれば前回の記事でみたインプットとアウトプット(分けることに意味がないと言いながら分けて使ってます…)における知識や経験値、発信力に優れていれば選手やチームを改善することはできるとは思います。
ただ、その指導力を100%効果的に発揮できるのかどうかはまた別の問題になってくると考えます。
いくら指導力があって選手やチームに改善をする術を知っていても、目の前の選手とチームがその指導者の声を本質的に聞いてくれなければ、改善も変化も何もなく、良い方向へむかっているとは言えないと思います。
そこで必要になってくる力を僕は「求心力」であると考えています。
求心力とは『他人を引きつけ、その人を中心にやっていこうとする力』とされています。(※=向心力として科学的にも使われる言葉)
対の言葉として「遠心力」があり『(政界などで)中心人物の人望が薄れ、周囲の人々が離れていく傾向をいう』とされています。
要は「この人に付いていこう」「この人の言ったことを信じてみよう」「この人の話を聞いてみよう」といった選手たちをはじめ、他の人を自分に向かせる力です。
自分自身へ向かせる手法として、言葉を用いたスピーチであったり、行動やふるまいといったパフォーマンスやといったスキルとして、指導力の中に含まれるものなのかもしれないですが、すごくニュアンスが微妙なのですが、それよりももっと本質的に”その人自身”にフォーカスした部分として考えてもらえたらなと思います。
言語化がまだまだ本当に未熟ですね…(悲)
その人を形づくるあらゆる部分
その人に求心力があるのかどうかを考えるのはすごく難しいです。(指導力も難しいですが…)
個人の感覚による部分が多くなってしまうことになるとは思うのですが、あえて言語化にチャレンジしてみると(話をしたい本質的な部分から逸れた方向へいっている気もするのですが…続けます!)
求心力を感じるか否かは、その人をかたちづくる様々な部分に対してどれだけ賛同できるか、好きであるかなのかなと考えます。
一番分かりやすく一般的に言われる「尊敬できる(リスペクトできる)人」なのかなと思います。この言葉に全てが入っているわけではないですが。
その指導者に付いていこう、話を聞いてみよう、と思う動機は人それぞれであることは間違いなく、その指導者を好きな人もいればあまりよく思わない人も当然ながら出てくると思います。
そんな中でも自分自身のスタンスを崩さずに、どこか惹かれる部分、好かれる部分、信頼される部分を多く持っていることがその人の求心力につながることであるのかなと考えます。
その人(その指導者)の色んな部分をどれだけの人が好きになるか。
どれだけ引(惹)きつけられるのか。
そんな人を僕は目指したいなと思っていて、今パッとそんな人で頭に思い浮かぶのは、最近記事にしたイビチャ・オシムさんと『1兆ドルコーチ』で存在を知ったビル・キャンベル氏です。
この偉大な2人のような人間性と求心力を持ちながら指導力を上げていくことが目下人生の目標であります!
理想の探求
ここまで書いたことは現時点での考えです。
この先また僕自身の考えや感じ方が変わり、その中で理想の指導者像も多少変化していくかもしれません。
そんなもの(理想の指導者像)は必要ない!となっているかもしれないです(笑)
ただサッカー指導でプレーモデルが変わっていくように、日々少しずつ変化していくものでもあると思います。(不変のものもあると思いますが)
常に完全を目指すという不可能なことに挑戦し続けることが僕ら指導者にとってとても大切なスタンスであり、忘れてはいけないことだとは思います。
まだまだ思考がとっ散らかっておりますが、それが自分の中でクリーンになれるように日々精進していきたいと思います!
最後まで読んでいただきありがとうございました!
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