【ぼやき】指導中に感じたもどかしさ

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先日、1年生の練習の際にケンカをしている2人がいました。

最初は(1vs1のTR中に)お互いに言い合いをしており、その様子に気づきましたがしばらく様子をみていました。

給水の時間をつくり練習を止めて再度選手たちを集合させた時に、そのケンカをしている内の一人が泣きながらもう一人と言い合いをしながら集まってきました。

その日は20名くらい選手がいて練習時間も少ない日であったこと、自分一人しかその場にはいなかったこと(離れた場所でもう一人のコーチは違う学年を指導中)、ケンカしている内の泣いていない方の子はよく仲間と揉める子で先日も叱った子であったので、そのケンカの詳細など聞かず介入せずに、向こうで話し合って2人で解決するまで練習に参加しないように伝えました。

思っていたよりも素直に集合している輪から2人とも離れたのですが、すぐにまた2人とも戻ってきて解決したと言ってきました。

2人とも納得(お互いにわかったという言い方をしましたが)したならまた一緒にサッカーをしようと話し練習を再開しました。


このエピソードは以上で、どこのチームでもある、どこの子どもたちの集団で起こるようなことなのですが、僕はこの時に2つなんだかなーと感じたことがありました。

問題への自己主張

まず1つ目は、「ケンカの解決早すぎだろ笑」というところ。

これに関しては、小学1年生なのでそんなものなのかもしれないです。僕が気にし過ぎなのと変に期待しすぎている(言い方が難しいですが、選手たちを過大に見ている)部分があったのかもしれないです。

まだ7歳とかなのでこれが当たり前だろうなと今になってみると感じるのですが、その時の僕の心情としては「問題の解決早すぎだろう」と感じていました。

以前『世界基準の幼稚園』という本を紹介したのですが、この本の中で欧米人と日本人の自己主張における大きな差という話を思い出して、この年代から自分の意見や主張を相手に通すということは少ないのが日本人なのかなと思いながら子どもたちに話をしていました。


もしかしたらサッカーができなくなることが嫌ですぐに話し合いに折り合いをつけて戻ってきたのかもしれません。(それだったら素直に嬉しいですが!!)

子どもたちは年を重ねていく中で自然と自分自身で価値観をつくりあげていきます。

そして他の人と自分の価値観がぶつかる瞬間にまた成長していくので、他人とぶつかった時は成長のチャンスであるという側面も絶対にあると思います。

その子によってですがその機会を大人がうまく拾って、マネジメントしてあげることが大切なのかなと。(無理やり勝手に結論へもっていきました…)

瞬間の葛藤と迷いの連続

もう一つは、我々はあくまでサッカーコーチであるという部分をどこまで貫けばいいのかということです。

僕自身も経験的に感じることが少なくないのですが、サッカーを教えたい(指導したい、練習させてあげてサッカーの成長をさせてあげたい)と思っているのに、なかなか目の前の選手たちが思うように取り組んでくれない。もしくは色々な理由でその段階までいけていないということがあると思います。

全てはその場の指導者の実力であるということは前提として十分わかっていますし、100%そうだと思うのですが、しかしもどかしさを感じる瞬間はあります。(指導者の方はみなさん感じていらっしゃるのかな?)

要バランスとこだわりの問題で、無視できるライン、または「ここは言わなきゃいけないな」という部分を自分の中で作れているかなのだと思います。

ただ現場での指導は、「どうしようかな…」「ここは止めて言ったほうがいいかなー」「ここは介入したほうがいいかなー」といった葛藤や迷いの連続であると思います。

この日で言えば、練習を任せられるコーチがもう一人いたのであれば、ケンカした2人について僕がもっと介入をしたと思います。それこそなぜ泣いているのか、お互いどんな言葉を相手にぶつけたのか、何をいわれて傷ついたのか。を聞き出して、お互いにしたことを認めて、謝らせて…、と。

ただ今となってみればこの介入が後々の子どもたちの自己解決能力を成長させる機会を奪ってしまうことにもなるのかなと感じました。

人づくりよりサッカー指導を取ったほうが結果としこの日は良かったのか。答えはわからないです。

子どもたちを目の前にして指導していると、その子たちの価値観やスタンス、考え方などを変えてあげないといけないなと思う瞬間があります。

どこまで無視するのか

ここ言いたいのはこの部分でして、要はどこまでサッカー指導をしながら、その目の前の子どもたちの人づくり(道徳観や倫理観みたいなもの)、マインドセット(物事への取り組み方、周囲への考え方)に対して介入していくのか。ということです。

乱暴な言い方になってしまうのですが、言ってしまえばどこまで人づくりを無視するのか。

0か100ではなく両輪でできるでしょ。という考えももちろん持ち合わせていますし、それが正しいのですが、ここで言っているのはそのもう一歩踏み込んだ指導現場でおきるその瞬間の話であると理解してもらえる嬉しいです。

例えを出すとこの日のように、TRをそのまま続けるか、止めて全体の中でそのケンカについて介入するのか。

指導者のそれぞれの価値観やその選手たちのレベルやチームの状況、その時の雰囲気、空気感、クラブの方針など。考慮すべきことや影響を及ぼす要因はたくさんあるのですが、その渦の中(カオスだと僕は思っています…)に常に立たされている指導者は、その時々の最適を選ばないといけない。

最適解を探して、選んで、決断して、実行する。

うーん。難しい…。ほんとうに…。

何が難しいって、サッカーのプレーにおける選んで、決断して、実行するというプロセスの後に発生する「結果」の「評価」というものが指導にはすごく時間がかかる。

サッカーのプレーは結果がすぐに出るので、それを良かったのか悪かったのか評価して、自分の経験(メモリー)として次のプレーに活かすことができるのですが、育成はその結果が出るのにすごく時間がかかる。

僕も今これを書いていて改めて育成年代の指導とはどういうもの(どういう構造)なのかを考えましたが、良いか悪いかは誰にもわからないです。

指導については、正解はないけど最適解はあるんじゃないかとU-12カテゴリーをみる機会が増えた最近は考えるようになっています。

ただそれを分かった上でも指導者は日々現場で決断しないといけない。

そして、「これは違うというもの」指導には確かに存在していると思います。
(いつもの抽象的でまとまらない話になってしまい申し訳ないのですが、ぼやきなので許してください…)

こういったことを日頃から考えること。そして頭で考えたことをこうして文字に起こして表現することで自分自身の指導者としての成長があると思いこのブログを続けています。

真面目にひたむきに、目の前の選手たちを改善することを全力で行い、成長のサポートを精一杯できるように日々勉強と研鑽をしていきます!

最後まで読んでいただきありがとうございました!

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